慈照寺 銀閣 不都合な真実とガイドの葛藤

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通称「銀閣寺」。

臨済宗相国寺派の東山慈照寺です。

今でも修学旅行では清水寺と金閣寺、銀閣寺のコースが定番です。

最近では銀閣寺に訪れる海外のお客様も以前より多くなってきた印象です。

ところで、私は銀閣寺にガイドをすると、いつも悩んでしまします。

どこまで本当のことを説明すべきなのか…

そのことは最後に触れます。

ここでは慈照寺を銀閣寺、観音殿を銀閣という通称を使います。

銀閣寺の御朱印

銀閣寺では、入り口でお札に付いた参拝券と引き換えにパンフレットをいただきます。

その際、「御朱印をいただく方は最初に御朱印帳を預けていって下さい」と案内されます。

隣の出口のところに御朱印所があり、そこにお預けすると帰りには時間を取らずに受領させていただけるシステムになっています。

御朱印の「観音殿」というのは、銀閣と呼ぶ2階建ての楼閣の名称です。

仏名でもなく教えでもなく、建物の名前の御朱印は比較的少ないです。

金閣寺なら「舎利殿」、三十三間堂では「大悲殿」という御朱印があります。

現在は観音殿の御朱印のみですが、以前は「東山殿」という御朱印もありました。

銀閣寺のガイド

銀閣寺ガイド一般形

銀閣寺とは、室町幕府八代将軍足利義政によって造営された東山殿という山荘が、義政没後にお寺となったものです。

正式には慈照寺と言って義政の院号から来ています。

拝観券はお札に切り取り線で付いた形なっています。

ちなみに上の「銀」の字の左右にあるチョンチョンは以字点といって意味には諸説あります。

(実際のガイド中は運が入るとか、苦が出ていくとか、会話ネタに使います)

庫裡の前を通り、小さな門をくぐると向月台の前に出ます。

右手では銀閣のすぐ近くになるたまりがあるので、最初の撮影スポットになります。

ちなみに銀閣寺の撮影スポットのトップ3は以下です。

第1位:東求堂の前から銀沙灘・向月台を入れながらの銀閣

銀沙灘と向月台は、形が崩れてくると庭師の方が見えて、形を作り直します。

運が良いと作業風景を見ることができます。

銀沙灘と向月台の形と意味は不明(記録に残されていません)です。

第2位:銀閣の前にある池の縁から銀閣の正面(左右に木々を入れるのがベター)

第3位:向月台の側からの銀閣の接写

方丈の前を通り東求堂を外から眺めます。

稀に戸が開いていることはありますが、いつもは戸締めされています。

戸が開いていても中にある四畳半の同仁斎を見ることはできません。

いつあるかわかりませんが、特別公開だけが同仁斎を見れる唯一の機会です。


順路に従い、池を越えて山道に入ります。

義政がお茶に使ったと言われる湧水をみて、山道の中腹から銀閣寺全景を見下ろします。

山道から降りて銀閣の脇を通り休憩所でお土産をみて終了です。

公式サイトと関連サイト

臨済宗相国寺派 銀閣寺

世界遺産(世界文化遺産) 慈照寺銀閣寺 京都府

慈照寺(銀閣寺) – 京都観光オフィシャルサイト 京都観光Navi 京都市

慈照寺 – Wikipedia

銀閣寺の不都合な真実

銀閣は通称であって、江戸時代に庶民の観光ブームが起こり、その際につけられたものです。

それ以前に銀閣という名前は使われていません。

北山に金閣があるのだから東山に銀閣があった方が面白い程度のノリであったのだと思います。

ところが洒落が事実のように喧伝され、まじめに学術調査されるまでになりました。

嘘というものは、つき続けているとだんだん本当のような気がしてくるもののようです。

もちろん銀箔が貼られた事実がないことが確認されました。

すると、今度は銀箔を貼ろうとしたが貼れなかったというデマが広まり、NHKの書籍にまで記載されるようになってしまいました。

例えばこの本の銀閣寺のページにこんな記載があります。(ご丁寧に英訳まで…)

建立者の足利義政が、政治力の不足から財政難に陥り、全体に銀箔を貼る予定をやむなく断念したという説も。

もちろん、そんな説はなく単なるデマです。

突然そんなこともっともらしく言われちゃうと、本当だと思っちゃいますよね。

もともと義政は西芳寺(苔寺) を手本としていたようです。

現在建物で現存している当時のものは、義政の存命中にできた東求堂と、没後にできた銀閣だけです。

そこにみる質素にして簡潔な義政の嗜好は、建物に銀箔を貼るというような趣味とは相容れないものです。

銀箔がダメとなると、今度は銀沙灘に月の光が反射して銀閣が銀色に輝くように設計されたという珍説が!

どこまでも銀閣を「銀」にこじつけようという努力が払われ続けているのです。

残念ながら銀沙灘や向月台は江戸時代にどこかの誰かが作ったもので銀閣を建てた当初には存在していませんでした。

そもそも銀沙灘に使われている白砂は、そんな都合良く月の光を反射しません。

また、室町時代の銀閣創建時は、広い池があり今とは別の場所にありました。

後世になり大規模な土砂崩れがあって現在の位置に移つされています。

義政がこだわり抜いて作庭したであろう庭園は、その土砂崩れで台無しになってしまいました。

実はそれ以前に、織田信長など時の権力者が庭園の名石を持ち出すなどして見る影もなくなっていたのでした。

ガイドの葛藤と憂鬱

現在の銀閣寺を訪れても義政が希求し、そこから誕生した東山文化を味わうことはできません。

味わっているのは「銀」のキーワードでテーマパーク化された江戸時代の銀閣寺なのです。

酷いことに銀閣の屋根の上の宝珠を、金閣寺に対比させるために鳳凰に付け替えちゃっています。

それでも銀閣寺を訪れた方が「素晴らしい」、「美しい」と喜ばれているのですから、それはそれで善しとするのも必要ではないかと思います。

慈照寺自身でさえも銀閣寺と称しているのですから。

ただ、本当にこれで良いのかと葛藤して憂鬱になるのです。

私のささやかな願いは、銀沙灘・向月台を撤去して、義政が作庭した当時のように池を掘り直し、東求堂と観音堂(銀閣)の位置を元に戻すことです。

そして自他ともに「銀閣」という呼び方をやめるということです。

オリジナルの「東山殿」か「慈照寺」で良いと思うのですが、皆様はどう思われますか?

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