金閣寺 世界遺産なのに国宝でない本当の理由とは

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世界遺産の「金閣寺」。

正式名称は「鹿苑寺」で、金閣とよんでいる三層の建物は「舎利殿」といいます。

金閣寺の御朱印にも舎利殿と書かれています。

とても美しい金閣は、海外の観光客からも大人気です。

ところで、金閣寺のガイドで「金閣は国宝ではないんです。」と言うと

「えーっ!何で?だって世界遺産でしょ!」と皆さん驚かれます。

「昭和に焼失する前は、三層目しか金箔が貼ってなかったんです。」と言うと

「そんなバカな。だって金閣じゃん!全部金ピカじゃないの?」

さらに「足利義満の建てたものと今の建物とは、三層目の一部しか似てないんです。」と言うと

「ウソでしょう」と…

衝撃の真実は後ほどに。

金閣寺の御朱印

金閣寺の御朱印は寺名の由来でもある「舎利殿」です。

通常の御朱印ですと、書き手による個人差はあるものの、大方似たようなものなのですが、金閣寺の御朱印は、書かれる人により結構な違いがあるようです。

一番多く目にするのが、このタイプです。特徴は「利」の字が割と読みやすく「殿」の字が他の字より一際大きく書かれています。

次に多いと思うのが、「舎」の字が「殿」並みに大きく、「利」の字が少し崩されている書き方です。

もう一つは、以前よく見かけましたが、最近少ない崩した書き方です。このパターンでは墨がたっぷりで字の各線が太く書かれるという特徴があります。

金閣寺の御朱印をいただく場所は少しわかり難いです。

金閣(舎利殿)を拝観して、丘を登り、夕佳亭を過ぎて不動堂まで来ると、不動堂に向かって右手に朱印所があります。

そこで御朱印の授与やお札やお守りの購入ができます。

金閣寺のガイド

金閣寺は「超」が付くほどの人気観光地ですから、ガイドする際のネタもたくさんあります。

まず鐘楼(撞くことができる!)、拝観券がお札になっている、 鏡湖池には日本をイメージした島や鶴や亀の島もがある、不動堂の裏に謎の滝がある、などなど

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これらは、別途あらためてご紹介したいと思います。

夕佳亭

夕佳亭(せっかてい) 金森宗和好みと伝えられる茶室。寄棟造茅葺、三畳敷の席に勝手と土間からなる主屋に、切妻造こけら葺で二畳敷の鳳棲楼と呼ばれる上段の間が連なっている。明治初年に焼失したため、現在の建物は明治7年(1874年)に再建されたもの。平成9年(1997年)に解体修理を行っている。なお三畳敷の床柱は茶席としては珍しく南天の木が用いられており、殊によく知られている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/鹿苑寺

夕佳亭と南天床柱(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/鹿苑寺)

夕佳亭は茶室です。その名の通り、建てられている場所から夕方に見る金閣(舎利殿)がとても美しい(佳い)ということです。

ところが現在では木々が生い茂っており、夕佳亭から金閣(舎利殿)を眺めることが困難な状態になっています。

金閣(舎利殿)、よく見ると金ピカではない…!?

修学旅行の学生さんも、海外からのお客様も、金閣と言えばゴールデンパビリオン!金ピカの建物をイメージされてきます。

金閣寺のキーホルダーとか模型とか、たしかに建物全体金ピカですね。
でも、実物を見ると一層目は金箔が貼られていません。もちろん屋根にも金箔はありません。なのに、それでも金ピカのイメージは崩れません。

これは摩訶不思議!素晴らしい視覚効果を供えている建物物だと思います。

ちなみに再建時に使用された金箔は20Kgだったそうです。(市バスのアナウンスでも説明されています)

足利義満が建てた頃は金箔を薄く延ばす技術も未発達だったそうなので、相当な量の金塊が使われたものと思われます。

間違った説明が…

金閣(舎利殿)が二層目と三層目だけ金箔が貼ってあり、一層目には貼っていない理由について、こんな説明がされる場合があります。(と言いますか、通常そう説明されます)

金閣(舎利殿)を建てた足利義満は武家の出で出家して僧になりました。

金閣(舎利殿)は一層目が「法水院」といって公家の寝殿造り、二層目が「潮音洞」といって武家造り、三層目が「究竟頂」といって禅宗造り。

「武士と僧侶の建物には金箔を貼る価値があるが、公家の建物には金箔を貼る価値が無い」という、権力の頂点を極めた足利義満の、もはや権力を失った公家に対する強烈な皮肉が込められている。

なるほど!うまいこと言いますね。

でも、これウソなんです。

何故なら後で説明しますが、足利義満が建てた金閣(舎利殿)の姿は不明ですし、昭和に焼失する前の金閣(舎利殿)には三層目しか金箔が貼られていなかったからです。

それに、そもそも一層目を寝殿造り、二層目を武家造りと断言するのも建築学的には無理があるそうです。(金閣寺の看板には書かれているのですが)

金閣寺の公式サイト

金閣寺は相国寺に属するお寺なので、公式サイトは相国寺のサイトの中にあります。
  http://www.shokoku-ji.jp/k_about.html

金閣寺へのアクセス

金閣寺へのアクセスは公式サイトでも市バスで「金閣寺道」下車と案内されます。

電車移動はできないので市バスかタクシーでの移動となります。

京都駅からですと、金閣寺方面に向かうバスがたくさんあります。(EXPRESS便もありますが、いつも混雑しています)

京都駅からでなければ、四条などで59系統のバスに乗車されることをおすすめ致します。

59系統の市バスは比較的空いていますし、バス停も「金閣寺道」ではなく「金閣寺前」でとまりますので、より金閣寺に近くラクなのです。

金閣寺へのおススメの参拝時間

観光ガイドで数えきれないほど金閣寺には行っていますが、毎回のように大変混雑しています。特に鏡湖池越しに金閣(舎利殿)の正面をみる撮影スポットは、警備員が一方通行で規制しているにもかかわらず、人波に流され記念写真撮影もままなりません。

混雑に拍車をかけるのが、日本の修学旅行(集団)と海外の観光客のツアーです。

修学旅行も観光客も、少人数であれば良いのですが、クラス全体とか学年全体や、ツアー全員というようにバスで大挙して来られると大変なことになります。

ということで、おススメの参拝時間はズバリお昼ご飯の時間です。

団体さんがどこかでお昼を食べている時間帯が、空いているという経験を何度もしています。

個人や数名のグループではお昼を何時食べるかは融通が利きます。しかし団体だと場所も予約してあり、決まった時間にお昼を食べる必要があるのです。

金閣寺の開門直後はどうかと思われるかもしれませんが、考えることは皆同じようで、やっぱり混雑します。閉門直前だと移動時間が読めないのでリスクが大きいです(辿り着いたら閉門していたでは、あまりに情けないですから)。

空いているとこんな風に写真を撮れます

金閣寺が国宝でない理由とは?

正確な言い方をすると「金閣寺(鹿苑寺)にある金閣(舎利殿)が国宝でない理由とは」になります。

世間一般的には「世界遺産なんだから当然国宝になっているんじゃないの?」と思われています。

たしかに 昭和4年(1929年) に 金閣(舎利殿)が国宝に指定されました。

しかしご存知のように 昭和25年(1950年)7月2日に放火により焼失しています。

現在の 金閣(舎利殿)は 昭和30年(1955年)に再建されたもので、国宝にはなっていません。

「ということは…それほど古くないから国宝じゃないの?」

そういう気もしますよね。でも、国宝や重要文化財の定義に新しいか古いかは含まれていないのです。

国宝(こくほう)とは、日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いものでたぐいない国民の宝たるものであるとして国(文部科学大臣)が指定したものである(文化財保護法第27条第2項)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%9D

現在の 金閣(舎利殿)が国宝に指定されないのには別な理由がありそうです。

金閣(舎利殿)の衝撃の事実とは

焼失前の 金閣(舎利殿)の写真をご覧になったことはありますでしょうか?

明治から昭和の焼失前までの間に、金閣(舎利殿)がわりと撮影されていているので、多くの写真で再建前の金閣(舎利殿)の姿を確認することができます。

ここではWikipediaに掲載されている写真を見てみましょう。(Wikiのページでは画像を拡大表示で見ることができます)

焼失前の金閣(再建後と異なり、二層に連子窓がある

鹿苑寺-Wikipedia

焼失前の金閣(1893年)

鹿苑寺-Wikipedia

焼失前の金閣をデザインした絵葉書(1905年)

鹿苑寺-Wikipedia

焼失直後の金閣(1950年7月2日)

鹿苑寺-Wikipedia

写真から金箔が三層目しか貼られていなかったらしいことがわかります。

さらに焼失直前の頃には、三層目に雨戸が付けられているのが確認できます

他にも金閣(舎利殿)の2階から入るように、現在は存在しない建物が写っている写真もあります。明治の頃には内部に階段がなく、2階には外から入ったようです。

つまり明治から昭和の短い間だけでも、金閣(舎利殿)の外部や内部をいろいろ改造していることがわかります。

どうも現在の金閣(舎利殿)は、焼失前の建物とは別物のようですね。

足利義満が建てた金閣(舎利殿)はどこにいった?

結論を先に申し上げますと、最初の金閣(舎利殿)の姿は不明なのです。

研究によると天鏡閣という迎賓館のような役割を持ったメインの建物があって、そこから廊下でわたる建物に舎利殿が付いてたということです。つまり金閣(舎利殿)は北山殿という一連の建築物群の一部分であったようです。

それは古文書などの記録に残っているので、正確ではないにしろ舎利殿が最初から存在していたのは事実であろうと思われます。

NHKスペシャルなどで再現イメージなど制作されたりしていますが、金閣(舎利殿)の最初の姿は「よくわからない」というのが正直なところなのです。

足利義満が亡くなると、当時あったほとんどの建物が解体され移築されました。

その後の応仁の乱がおきて、残った建物や楓の植え込みまでが焼失しています。

さらに追い打ちをかけるように、十分な管理もされないまま仏像をはじめ庭園の木々や庭の石まで「金目の物」、「使えそうな物」は持ち去られてしまったそうです。

その後は長きにわたって荒廃してままであったようです。

そういう状況にあって、金閣(舎利殿)だけが創建時のまま残っていたとは”考えたいけど考え難い”ような気がしませんか?

江戸時代には大規模な修理(?)がなされたそうですが、その際「なんちゃって金閣」を建てちゃいました、でないことを祈りたいです。

江戸時代に庶民の観光ブームが始まり、当時は客寄せになるなら「何でもやっちゃえ!」的な勢いがあったようです。

なにせ江戸時代には銀閣寺でも無茶苦茶やっちゃってますので、金閣寺の舎利殿作るぐらい平気でやっていそうで怖いです。

結論:現在の金閣(舎利殿)は昭和の焼失前とは別物。さらに足利義満が建てた舎利殿はもっと別物…だったらしい。

でも現在の金閣(舎利殿)、これはこれで美しい建築物であることに変わりはありません。

金閣(舎利殿)の内部には入れませんが、内部の造りの素晴らしさは金閣拝観の際にいただけるパンフレットの写真からも伺い知ることができます。

現在の金閣(舎利殿)は世界に誇る日本の重要な文化財であり、国宝であろうとなかろうと、かけがえのない「昭和の遺産」であると思います。

皆様はいかがお考えになられるでしょうか?

最後に、NHKスペシャルで放映されたものに近い、初期の金閣(舎利殿)のイメージ模型を公開されている方もいらっしゃいますのでご紹介します。

足利義満が建てた金閣(舎利殿)を含む北山殿は、おそらくですが現在の金閣(舎利殿)とはかなり違う建物であったのでしょう。

しかしガイドとしては、現在の金閣(舎利殿)の素晴らしさをできるだけ多くの方々にお伝えする努力をしていきたいと思います。

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